親の死を悲しめなかったことへの罪悪感を持つあなたへ|アダルトチルドレン グリーフケア

こんばんは。

心理カウンセラーの加納由絵(かのうよしえ)です。

 

40代後半、50代の私達にとって

「親の死」というものは、避けて通れない世代になってきましたね。

 

私は、数年前に父を亡くしました。

パーキンソン病で、数年間 闘病生活をした後の死でした。

 

このとき、私は自分の感情の動きについて行けていない自分を感じていました。

 

 

        

 

 

私は、お通夜や告別式、火葬場で

常に人目をはばかることなく号泣していました。

 

とにかく涙が止まらなかったのです。

 

親類たちは

「由絵ちゃんは、お父さんに可愛がられていたからね」と

口々に話していましたが、私の心の中は違いました。

 

まったく、父の死が悲しくなかったのです。

 

悲しくないのに、ものすごい勢いで涙が溢れて来るのです。

 

この状態を、私は 自分で理解することも把握することもできませんでした。

 

 

父は、晩年 私の自宅近くの介護施設に入院していました。

毎日のように、実家から母が施設へお見舞いに通っていました。

私は、母から この施設と駅との送迎を頼まれることが頻繁でした。

駅から離れた施設なので車での送迎が必要だったのです。

 

でも、私は ほとんど行きませんでした。

延々と、母のグチや文句を聞かされることにウンザリしていたからです。

 

自分を可哀想がる母の姿が、なんとも うっとおしくて

悲劇のヒロインになりきっている母のことがイヤでイヤでたまりませんでした。

 

 

父の葬儀の際に、止まらなかった涙の理由は、あとになってわかりました。

 

私は、父の死は、まったく悲しくなかったのです。

 

既に人として生きることができなくなっていた父の晩年は

とても胸が痛むものでしたが、私は 子供として肉親として

父を愛していなかったのかもしれないし、

もう死んで楽になった方が良いでしょう、とも思っていましたし

 

これ以上、父が病床で生きていることで

私が母から受ける被害について、私は辟易していたというのが本当のところです。

 

 

そして、葬儀の際に止まらなかった涙の理由は、

父への愛情からではなく

もう、わたしは「父親」という対象から得たいと思っていた

さまざまな願いや希望を得ることはできないこと、

そうした機会を失ったことへの喪失感から来る悲しみだった、

その涙だったということに、ずいぶん後になってから気が付きました。

 

人が聞けば、

「なんて冷たい人間だろう!」

「恩知らず!」

そうした言葉を浴びせかけられるだろうこともわかりますが、

 

私は、いつの頃からか

父を、自分の父親としてではなく

戦中戦後を生きた、一人の孤独な可哀想な男性だったとしか

見ることができなくなっていたのです。

 

親に親を望まなくなってから、

執着やこだわりを手放してから、

両親への思いも希薄なものになっていきました。

 

産み育ててくれた。

それだけで充分だと思うようになり、

ただ、感謝以外の気持ちは沸き起こらず

 

親に完璧を求めることは、この世の人間には不可能なのだということも

親という立場に立ってみて、実感として感じることができるようになり、

 

許すとか受け入れるということではなく、

ただ、執着やこだわりを手放す、そこから自分を解き放つことで

生きていること、そのものの ツラさやシガラミから解放された。

 

父の死を見送った。

 

いずれ、私も同じように、どこかで死を向かえることになる。

 

親の死を悲しまなかった自分に対して、私は罪悪感を持っていません。

 

ただ、一人の人間として

精一杯生きた父に対して

「お疲れさまでした。どうぞ安らかに」

 

今は、そうした気持ちしか持っていませんし

それで良いのだと、私自身は思っています。

 

 

この世に残った者が、逝った者に対して心患うことのないこと。

 

それが、亡き人に対する最も適切な供養なのだと

私は、そう考えています。

 

 

もし、今 あなたが 亡くなったお父さんやお母さんの死を悲しめないことに

罪悪感を持っていたり、

今でも 恨みつらみを感じていたり、許せない思いを抱えているのだとしたら

それは、あなたの不幸でもあり、亡くなった方の不幸でもあります。

 

手放すこと。

 

空に向けて見送ること。

 

 

あとは、お空の風に おまかせしましょう。

 

人間にできることなんて、ほんのちっぽけなことです。

 

 

親の死を悲しめずに罪悪感を持った。

 

それだけで、あなたは充分に人間らしい人だと、私は そう思います。

 

人間、誰しも皆 聖人君子ではありません。

 

最後は皆、身勝手なものです。

 

 

だから人間なのでしょうね。

 

 

 

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コメント

  1. SECRET: 0
    PASS:
    こんばんは。
    天に任せるっていうのは、「祈り」だと思うんです。
    コントロールを手放して、「一番いい形にしてください」とすべて預けると、自分も楽になるのでしょうね。
    最近、親ではないですが、うまく行かない人間関係を天に丸っと任せてみたら、気持ちが軽くなってきた気がしています。

  2. SECRET: 0
    PASS:
    私も父の死を悲しめなかった一人です。

  3. SECRET: 0
    PASS:
    ありがとうございます。
    感想のコメントさせて頂きます。
    人は誰しも聖人君子ではない。
    良い面もあれば、悪い面もあるのが人間として、動物として当たり前の事。
    それを認識して、ネガティブな感情をもった自分を許し受け入れる、自己受容。
    更には、偏ったネガティブな思い込みを手放す事が出きれば、生きるのがずっと楽になる。

  4. SECRET: 0
    PASS:
    ありがとうございます。
    人事を尽くして天命を待つ
    この言葉が浮かびました。
    正に、思い込みやしがらみ、執着を手放し、自分のやれることをやり、あとは天に委ねること、それは祈りですね。

  5. SECRET: 0
    PASS:
    チョコラテと申します。
    読者登録&いいねをありがとうございます♡
    心を見つめるお仕事をされているのですね。
    とても大切なことだと思っています。
    そんな素敵なページに写真を使っていただけてすごく嬉しいです。ありがとうございます~
    わたしも読者登録させてくださいね。
    そしてお勉強させていただこうと思います。
    どうぞよろしくお願いします⸜(๑⃙⃘'ᵕ'๑⃙⃘)⸝⋆*

  6. SECRET: 0
    PASS:
    私も同じように思っていた1人です。
    難病で2年間入院し、今年の6月に父が亡くなりました。
    その間父の病院への母の送迎がほぼ毎日。
    私の場合は、母が頼んでくるのではなくそうすることが当たり前だとお互いに思っていたので、そうしないと母の機嫌が悪くなる、…私がそう思い込んでいただけかもしれませんが、そのストレスで押し潰されそうでした。
    なので、父は悪くないのに父がいなくなれば毎日の送迎がなくなるのに、と思っていました。
    実際父が生きていたときより母との関係は少しだけよくなった気もします。
    年も年だし治る病気ではないとわかっていたので、亡くなったことに対しては悲しくはなかった気がします。
    父には可愛がってもらったのにこう思う私って冷たいのかな? おかしいのかな? と思うこともありました。
    父が寝たきりになってからもっとやれたことがあったんじゃないかと後悔もあります。
    でも、いい具合に親離れができてちゃんと見送れたんじゃないかと思っています。
    長文失礼しました。

  7. SECRET: 0
    PASS:
    皆さま、コメントありがとうございます。
    本来は、お一人お一人にお返事を書かせていただくのですが、この内容に関しましては、お礼のみで失礼させていただきます。
    グリーフケアを、より深く考えていきたいと思っています。
    ありがとうございました。

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