虐待を受けて育った人が羨ましいと思ってしまう自分が情けないと感じていませんか?

ごきげんいかがですか。

心理カウンセラーの加納由絵(かのうよしえ)です。

 

あなたは、もしかしたら

虐待を受けて育った人が羨ましいと思ってしまう自分が情けないと感じていませんか?

 

今日は、そんなあなたの気持ちについてお話ししてみたいと思います。

 

 

私は、都内の下町の檀家寺の僧侶の長女として育ちました。

メチャクチャ、しつけはキビシイかったです。

もう、ハンパないくらい。

 

たとえば 学校帰りに、近所の友だちと

駄菓子屋さんでお菓子を買って食べたら

そのあと、ハンパないお仕置きが待っていました。

 

「家の顔に泥を塗った。みっともないにも程がある!」って。

 

食事のときは、いつも必ず正座をして

両親に手をついてご挨拶をしてから姿勢を正していただく。

 

祖母と話すときは、敬語。

間違っても 「おばあちゃん、あれ買って~~」なんて

おねだりは許されない。

 

「おばあちゃま、おはようございます」「ありがとうございます」

「いただきます」「ごちそうさまでした」

 

全部、敬語。

 

 

母も尋常ではないプライドの高い人だったので

メチャクチャ、しつけはキビシかったです、というか酷しかったです。

 

私は、世間一般から見ると

どちらかというと羨ましがられる、豊かな家庭環境の中で育ちました。

「そんな恵まれた家庭環境で、いったい何の不満があるの?」という

ケチのつけようのない環境です。

 

こういう、一見 恵まれた家庭環境で育った子供は

周囲の人達が、心の傷に気付いてくれません。

 

「そんなハズない!あんなに立派なご両親が揃っているのに」

 

そう言われて、おしまい。

 

これが、DVや虐待やアルコール依存の親のいる

いわゆる機能不全家庭だったら、

世の中の人は、たいてい誰だって「何か変だな?」と気付いてくれます。

 

子供が着ているものが汚れている、とか

不自然なケガやアザが多い、とか

キチンと食事を摂っていないように見える、とか

学校を欠席しがちだ、とか。

 

 

そうすると、第三者が気付いてくれて

子供を保護するまではいかなくても

「ツライんだね」「怖かったね」と同情してくれたり

心配してくれたり、気をかけてくれたりします。

 

でも、一見 恵まれた家庭の子供は、誰も気付いてくれません。

キチンとした服装で、習い事もしていて

いつも遅刻せずに、ちゃんと登校してきて

宿題もキチンとできていて、成績も まあまあ。

先生も「手のかからない、良い家庭の良いお子さん」だと

ほとんど無関心な状態。

 

それよりも、困っている家庭や、発達障害の子たちの世話で

先生も学校も、世間の人達も、いっぱいいっぱい。

 

 

「誰も、気付いてくれない」

 

 

そんな寂しさを、あなたは感じたことはありませんか?

 

結婚してから、私の夫が
「なんで、由絵は家族と敬語で話すの?」といわれて

「あなたは、話さないの?」というと

「だって、家族でしょ?話さないよ、敬語(´・・`)」と、不思議がられたときに

 

ああ、そうか。と、初めて気付いたのです。

 

自分が生きてきた環境や育ってきた環境は

「普通じゃないのかな?」って。

 

それまでは、子供の頃は 育った環境が「普通」だと思っていました。

もう、何のうたがいもなく。

 

でも、違うんだなって思い始めたら、もうダメ。

 

「アレも違う」 「これも違う」って、どんどん気が付いてしまいました。

 

 

「世間知らずのお嬢さん」と言えば聞こえは良いのですが

「世間と違うお嬢さん」という状態を務めていたんだなあ、私は、と。

 

そうしたら、何が「普通」なのか、わからなくなってしまいました。

 

 

私のような人間の悩みや発言は

世間から見たら、「ただの甘え」で「ただのワガママ」

 

苦労知らずのお嬢ちゃんのたわ言。

 

誰も、真剣に相手をしてくれない。

 

「ツライ」なんて言ったら、非難される。

 

 

だから、どんなにツラくてもガマンして、辛抱して

ワガママ言わずに、従順に親の言うことをきいて

とにかく「良い子」で生きていく。。

 

 

そんなときに、虐待を受けていた子が

周りの大人達から「かわいそうね」って、かばわれているのを見ると

涙が出るほど、羨ましいなって、

そう思ってしまいました。

 

 

「誰もわかってくれない」

 

 

その気持ちや経験は、

物心つくより、ずっと前からグリグリ、ジワジワと

心に、記憶に、すり込まれて、刻み付けられていました。

 

本当は、そういう家庭の影で

どれだけ陰惨な心の傷を受けていたとしても

外からは、見えませんから。

 

だから、「人から理解されること」に

ものすごく飢えていました。

 

20代の頃は、普通に話をしているだけなのに

私の話を誰かが聞いてくれていると感じるだけで

目から涙がボロボロこぼれていました。

 

普通に、昨日見たテレビ番組の話しをしている程度のことで。

 

 

それほど、私の周りには

「話を聴いてくれる人」が、誰もいませんでした。

 

常に、上からの指示・命令・規制・制約・管理、そんなものばかり。

受容とか共感とか、そんなものは何もない。

 

受容とか、共感って、

辞書をひくまで知りませんでしたから。 実際。

 

 

あなたは、「人から理解されることに飢え過ぎている自分」

持て余していませんか?

 

どうしようもなく、暴れ出しそうな気持ちを

どう扱ったら良いのか、途方に暮れていませんか?

 

 

パンドラの匣が開いてしまうのが、コワくて仕方ないのではありませんか?

 

 

そんなときは、どうぞ いつでもご相談くださいね。

 

あなたは、ちっとも「ワガママ」なんかじゃありません。

 

誰も、あなたの気持ちに耳を傾けてくれなかっただけ。

 

寂しくて、当たり前です!!

 

かわいそうな子が羨ましくても、当たり前です!!

 

心のツラさは、外見や見た目じゃありません。

 

何でもなさそうな人ほど、何でもなくないんです。

 

「こんなくだらない悩みで。。」なんて思わないでください。

 

悩むほどツライのに、くだらないワケないでしょ?

 

 

遠慮せずに、お声掛けくださいね。

 

どうか、1人で悩まないで。

 

 

 

 

 

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